いつかは田舎で暮らしたい


いつからそう思うようになったのか記憶は定かではないが、母の影響が 大きかったのかな・・・
声に出しては言わないが、母が心の中でずっと思っていたことが幼かった私の心に伝わっていたのだと思う。

父も私たちが小さかった頃から、 山や川に ハイキングに連れて行ってくれた。
その楽しい思い出が「自然いっぱいの田舎は素敵」という感覚につながったのかもしれない。

両親とも都会育ちのわが家にとって、夏休みに みんなが帰省するような「田舎」 は存在しなかった。だから、本当は田舎がどういうところなのかは知らない。

都会近郊で育った私にとって「いつか田舎に住みたい」というのは、長い間具体性のない「単なる夢」でしかなかった。

その後都会を離れ、地方都市に住むようになった。
移り住んだ当初、そこは十分「田舎」に感じた。

まだ若かったせいもあるのか、都会と違う不便さばかりが目に付いて、いつの間にか「都会志向」になっていた。「将来は都会に戻って暮らそう」と。




ただ、住んでいる家の近くには、都会ではもう数十年前に消え去った田んぼや畑があって、その農作業を見て季節の移り変わりを実感できたし、夏の青々とした稲の上を吹き渡る風を見て自然を身近に感じることができた。

「都会と比べて自然がまだ残る地方都市も悪くない」とちょっとだけ感じていたのも事実である。

 

それから約20年が経った。

家の裏にある土手で毎年鳴いていたオオヨシキリは、ヨシ原が畑になったことで姿を見せなくなった。
そのヨシキリの巣に托卵していたカッコーの鳴き声も、今はほとんど聞こえない。
田んぼは少しずつ埋め立てられて、住宅地になりつつある。

少しずつ変わりつつある周囲の環境・・・

「やっぱりいつかは、田舎で暮らしたい」私の田舎志向が目を覚ました。




仕事柄、定年退職後に田舎に移り住む人達が身近であり、セカンドハウスを気軽に持つ若い人達にも 触れる機会が増えた。

自分も年をとってきた。
「あと何年元気で過せるのだろう」というのが他人ごとではなくなってきた。

このままでは「いつか田舎に住む」と言い続けながら年をとり、そして死ぬ間際に、「なんであの時に、一歩踏み出して実行に移さなかったのだろう」と後悔し、心残りのまま旅立つのだろうな・・・

ちょうどその頃、テレビ番組で見た90歳を過ぎたあるアメリカ人女性の言葉が印象に残った。
「人生は短いのよ、やりたいことはすぐやらなくては・・・」

そうだ、一歩踏み出さねば!!
その一歩が踏み出せるか否か、それは単に「勇気だけの問題」のような気がした。

「元気で遊べるうちに」と考えると、少しでも早く決心する必要があるようにも思えてきた。

若い頃には田舎暮らしに興味がなかった夫も、年令を重ねていくうちに私と同じ考えでいたらしく、「とりあえず、土地を探してみようよ」ということになった。


まず、あまり具体的なことは考えず、長野や群馬など以前から憧れていた地域の下見をすることにした。




条件は、次の3点。

1.すぐそばに山があること
2.雪が少ないこと
3.交通の便がある程度確保されていること


インターネットでそれらの地域の価格帯を調べ、予算に合う土地をいくつか拾い出した。そして最有力候補の長野県に、初めての下見に出かけた。

すると、意外にも自宅から遠いことに気がついた。

山歩きをするためによく出かけて慣れていたはずの距離なのに、「毎週末通う」を前提にして出かけてみると、思った以上に遠い。

片道4〜5時間かかってしまうと、週末の約1日はその行き帰りに要してしまう。
実際に現地に滞在できる時間があまりとれない。

行動を起こしてみないと、いろいろなことが見えて来ないものだ。




そこで方針を変えて「将来の居住」は考えず、「積雪があっても、近くで気軽に楽しめそうな所」、つまり「裏庭感覚で遊べる場所」を探すことになった。

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